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プロも唸る「目標設定」のこだわり〜田中賢介、飛躍の秘訣はここにあった〜

 チームを支え続けた稲葉篤紀が昨季限りで引退し、精神的支柱を失ってしまった北海道日本ハムファイターズ。そんなチームに、あの男が帰ってきた。

 田中賢介、背番号3。


 球団にとっても、そしてファンからしても、これほど頼もしい存在はない。なぜ、田中賢介は頼もしいのか。その秘訣ともいうべき、彼の高い「目標設定能力」を紐解いていこう。

2番でも1番でも超一流


 田中賢介が大きく飛躍したのは2006年。この年、二塁手のレギュラー争いを勝ち取ると、リーグ最多の34犠打を記録。ベストナインとゴールデングラブ賞にも輝いた。同年の日本シリーズでも歴代最多タイとなる6犠打を決め、翌年は当時のパ・リーグ記録となるシーズン58犠打をマーク。新時代の2番打者、として注目を集めた。

 ところが、2008年シーズンに2ケタ本塁打を記録すると、2010年にはシーズン193安打、打率.335(どちらもリーグ2位)をマーク。強打者・巧打者としても球界屈指の存在に躍り出たのだ。

 なぜ、打者として変貌を遂げることができたのか? 打順が2番から1番(一時期は3番)に変わったから、という理由もあるだろうが、それ以上に大きかったのは、この頃から高い目標設定を持つようになったからだ。

目標設定を明確にすることの重要性


 田中賢介が変わり始めた2008年頃から師事したのが、多くの一流アスリートのメンタル面を支え、2010年、サッカーW杯日本代表のチームづくりもサポートした福島大学教授の白石豊氏だ。

 実は以前からメジャー志向を秘めていた。面談を通して、その目指すべき高みを知った白石氏は、「田中賢介という選手の本当の武器は何なのか、メジャーに対するセールスポイントは何なのかを真剣に考えないと、夢は絵に描いた餅に終わってしまうよ」とアドバイスする。

 ここで取り組んだのが、現役生活だけでなく老後まで見据えた「ライフプランシート」の書き込み。漫然とした「打率3割」という目標ではなく、「何歳まで野球をやるためには、そしてメジャーに行くためには“今”何をしなければならないのか」を明確にイメージするようになったのだ。

 まずは2009年。オフから「1番打者の座を奪う」と宣言すると、キャンプで適正をアピールして有言実行。両リーグで唯一となる「シーズン併殺打0」という安定感も見せつけ、チームのリードオフマンの地位を不動のものにする。

 そして2010年シーズン。開幕前に「3割5分を打って首位打者に」と目標を定めると、9月中旬まで打率3割5分をマーク。最終的には、その年の首位打者・西岡剛(当時ロッテ)に抜かれてしまったが、従来までシーズン最高打率が.301だった男が一気に打率.335を記録。目標設定を高く、そして明確に掲げることの重要性を見せつけたのだ。


未来から逆算して「今」を生きる


 選手としての目標を定めることで、普段の生活スタイルにもこだわりが生まれる。シーズン中の外出は極力控え、趣味はゴルフ、DVD鑑賞、そしてダルビッシュ有&建山義紀と「部活」を結成したワインくらい。生活の全てを野球に捧げることができるのも田中賢介の強みの1つだ。

 そして、「将来も見据えた目標設定」を知ると、メジャー挑戦におけるこだわりの意図も見えてくる。通常、メジャーに挑戦する日本人選手は通訳を帯同させるが、田中賢介は通訳を付けずに英語の家庭教師のみを採用した。

 その年に活躍することだけを考えるならば、間違いなく通訳を付けたほうが良かったはず。それでも「自ら言葉を覚える」という苦労の多い道を選んだ。それは将来的に指導者になった時の武器を作るためでもあった。未来から逆算して「今」を生きることができる、田中賢介の意思の強さが顕著になった事例だ。

天性のリーダーシップ


 これほどまでに目標に向かってストイックに生きることができるからこそ、周囲からの信頼も厚い。栗山英樹が日本ハムの監督に就任した際、まず決めたのが田中賢介をチームキャプテンにしたこと。

 栗山英樹著『覚悟』の中でも、

「賢介には天性のリーダーシップが備わっている」
「だれよりもプロ意識の高い賢介が牽引してくれれば、チームにも、そして賢介自身にも必ずプラスになる」
「ファイターズというチームにとって賢介がどれほど大きな存在か、それはともに戦う選手たちが一番よく知っていた」

 と記すほど、その信頼感は群を抜いている。

 田中賢介自身も、「監督がやろうとしている野球を理解して、それに対応するのがプロ野球選手の仕事。それができなければ、この世界で長く生き残っていくことはできない」とチームメイトを叱咤。その成果として栗山監督就任1年目のリーグ制覇につながったのだ。

感謝してプレーする男


 今季、3年ぶりに日本ハムに復帰した田中賢介。不動のレギュラーとして、19日現在、首位を走るチームの原動力になっている。

 プレー以外にも目を向けると、自身のイメージカラーがピンクであることから乳がん撲滅を目指す「ピンクリボン運動」に賛同し、以前から無料検診事業などに協力。シーズン開幕前には「今年からまたやろうと思います。プレー以外で北海道に貢献したい」とこの活動の復活も宣言している。

 4月7日の対西武戦では、プロ初出場を果たした思い出の地、東京ドームで1本塁打を含む3安打猛打賞。そして試合後、賢介はヒーローインタビューでこんなメッセージを発した。

「またファイターズの一員としてプレーできたことに感謝しています」

 「感謝」を口にしてプレーする田中賢介。だが、シーズンが進めば進むほど、田中賢介に感謝する人の数の方がどんどん増えていくはずだ。



■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)

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